佳矢乃のキノミキノママ日記

2014年4月29日    考える事(根っこには感じる事)をやめない




今回の辺境ラジオも、
すごく面白かったです。もういろんな意味で面白すぎました。


一部、

「これからどうなるのか、
 ハズレてもいいからどんどん未来予測を立てる。
 そして間違えてたら、なぜ間違えたかを検証する。
 それでどんどん精度が高まって行く。」

潔さ、込みで、ですよね。面白いなあ。

あとアメリカ論とか。
西さんの「やっかい!」って叫びとか、
日本の文化のこと、自然との共生、とか。
一色に染めようとする動きは危険、とか。とか。
ああ、もう。なんかもう。(なによ)

それとは関連しているようで、ちょっと違う話かも、なんですが、
(ここからは私個人的な話です。)

ある夜に、ある相手といろいろ話す場面があって、

それまでは、相手の活動に賛成と同意をしていたし、
実際に自分もできる範囲の行動をしていたけど、
その相手から、
「では同じ船に乗ってくださいますね?」
と同意を求められた瞬間、
いや、ちょっとそれは、と拒否しそうになりました。

同じ船に乗ってくださいますね?という言葉自体に、
暗に拘束されるような、強制されるような、
それこそ一色に染められそうな、
こっちの意思や動きを相手に委ねないといけないような、
そんな制限されるようなイメージを持ってしまったからか‥、
はっきり自分でもわからないけど、

その方には、
「その志(こころざし)的なものには賛同していますが、
 同じ船に乗るかどうかはまだ決めかねます。」
という風に応えるにとどめました。


いくら相手に賛成とか同意をしていても、
言葉一つで、印象やニュアンスが変わってしまう事ってあるんですねえ。
相手に他意はなくて、単に焦ってしまっての発言かもしれないですが。
なんか、もったいないなあ‥なんて人ごとのように思ってしまって。
すごく共感できてたのに。

「同じ船に乗ってくれますね?」
と言われて、
「はい!その船に乗ります!」と言えなかったのは、
「私たち親友よね?」
「そうよ、親友よ!」と、もう言えないってのと似てて。
(わざわざ確認をとる地点で、もうそれは確認を取らないと不安な関係なわけですもんね。)

おなじ意思を持っていても、
そこに個人の能動的な自由さや余地を与えてもらわないとやっぱり困るんだなあ。(困るってアナタ‥)
同じ船に乗ろうという意思を持てるのは、
それはやっぱり船の乗員があえて誘ってこなくても、
その仕事ぶりに心から共感したり、
お手本にしたい、仲間としてやりたい、とこちら側が思えた時なんだろうから。

と同時に‥、
本当の意味で自由かつ強い意思を持っている人というのは、
どんな船に乗ったって、乗らされたって、
自分個人でも動けるエネルギーを持っているはずで、
この時咄嗟に「はいはいー、乗りますとも~!」と言えなかった自分は、
結局まだそんな意思が強いわけでもなく、
どこかに逃げ道を作っておきたいと思ってるんだな、とも自覚をしてしまったりもして。苦笑

簡単には委ねない、
考える事を放棄しない、

その事をまた考えさせられた日でもありました。

  1. 2014/04/29(火) 15:58:19|
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