佳矢乃のキノミキノママ日記

「なんだかへんて子」

2016年1月15日


本。

古ければ古いほど処分できないもんでして。

自分が子供の頃に読んでた本、
そんなに数は残ってないけど、
これだけは捨てられないなあ、って本、
いくつかあるんです。

その中の一冊を、ちょっと引っ張り出してきてみました。

IMG_6511.jpg

「なんだかへんて子」


わたし、へんて子になりたい。

小学生の時、そう思ってたなあ‥‥。ははは。

ちょっとパラっと読み返して、
痛快なお話を思い出して、
ああ、やっぱり「へんて子」いいなあ。好きだなあ。
そういうのがいいなあ。

なんて、思いました。
最後のオチも見事なんですよねえ。
絶版なのかなあ。

  1. 2016/01/15(金) 14:23:11|
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2013年8月18日    BGMは「自転車ショー歌」です。



今まで接してきた大勢の方々の中でも、
特別仲が良かったわけでも、接点が多かったわけでもないのに、
なぜかたまにふっと思い出してしまう方々、というのがいてはります。
そんな中のお一人のことを、
今日また、
近所の国道をロードサイクルで颯爽と走り去る男性を見かけた時に、
ふっと思い出しました。

その方は最初の就職先、神戸のアパレル会社、
そこの営業部の男性です。
先輩というには年が離れてますし、
この場合は上司と言うのが適当なんでしょうけど、
正直「上司」という感じがあまりしない方でした。(こらっ)
なのでここではOさん、と書きます。

就職1年目の自分は、営業事務に配属されて、
全国各地を外回りする営業マンさんたちの、社内仕事を補佐する役割でした。
地域別にチームが別れていて、
女子もどこかに配属されるわけなんですが、
‥‥ホントに記憶力が乏しくて、
私はそのOさんと一緒のチームだったかどうかさえも忘れています‥。(記憶力なさすぎ)
でも、たまにふっと今でも思い出してしまうのは、
ある時、Oさんがおっしゃった一言が大きかったように思います。

1年目、毎日の仕事、ちょっとしたことでも緊張続き。
当時の自分は本当にガチガチな鎧をつけたようなどうしようもない状態で、
「失敗しないように。」と極端に身構えていたような毎日でした。
ある時、
営業補佐の女子の先輩方、私、そしてなぜかOさんが混じって、
みんなで雑談をしていました。

ある小売店さんで販売促進目的のファッションショーをすることになって、
営業女子がモデルになるというちょっとしたイベントが持ち上がってた時です。
その小売店さんがある場所は、神戸から少し離れた山間の都市で、
ちょっとした観光名所だったりもして、美味しいものがわんさかあるのです。

先輩女子が、
「ランチくらい食べる時間ありますよねえ。」
と言いました。

「あるやろ、そりゃー。」
「うわー、何食べようかなー。」
「秋やからイノシシとかも食べれるんちゃうのー?」
「うわ、それええなー。」

そんな話をしてたように思います。
「イマキちゃん(当時こう呼ばれていた。)も初めてのことやもんなあ。
 楽しんでおいでなー。」

Oさんがこう話しかけてくれた時、
私はつい当時の本音が出てしまって、

「はいー、でもなんか緊張してというか、
 楽しむどころか、
 何食べるとか、そんなことも考える余裕が全くない感じですー。」

と言いました。

するとOさんが、
「あれあれ。それはいかんなー。」
と、ゆるい笑顔になって、

「イマキちゃん、仕事やからって別にガチガチに考えんでええねんで。
 ランチくらい、何食べたいかくらい、
 楽しんでおいでーな。
 というか、いつでも、ここで仕事してる時でも、
 そのくらいの余裕で楽しんでみー?」

ほんまにアホみたいなんですけど、
当時の私は、
「仕事中に楽しむ。」なんて概念が一切なくて(どんだけー)、
Oさんのこの言葉は、かなりハッとしたのです。

え?
仕事も楽しんでいいのー?

って感じで。笑

また、
当時一人暮らししてた三宮から、
会社のあるポートアイランドまで自転車通勤していた私は、
Oさんの趣味であるロードサイクルの話とか聞くのも好きで、
たまにそういう話も聞かせてもらったりしました。
どこそこへ走りに行った、とか
(以下、私の心の声。「うわー、楽しそう!」)
筋肉の付き具合、だとか
(「へー、でも私はそこまでは嫌やなー、太ももには肉つけたくないもんなあ。」笑)、

自転車の話をするOさんはめちゃイキイキしてて楽しそうで、
というか、
普段の仕事の姿勢も割とゆるい(感じに私には見えた。笑)方ではあったけど、

あ、そんな風に仕事も楽しんでええんや。

ということを、
ガチガチだった自分に初めて教えてくれた方だったような気がします。

「どんな状況でも、仕事を楽しむ。」
は、
今ではすっかり自分の基本軸になっていますが、
それは確実にOさんのお陰なんだなあ、と思います。
(もちろん仕事以外も。)

今、どうしてはるんやろなー。
どっかロードサイクルで走ってはったりするんかなあー。
と、この辺を颯爽と一人ロードサイクルで走り去る人を見ては、
ちょっとOさんと、その言葉を思い出す時があります。

ということで、
BGMは忌野清志郎の「自転車ショー歌」で。笑(また唐突な)

  1. 2013/08/18(日) 11:00:38|
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2013年5月7日     阪急今津線




GW中に、映画「阪急電車」がテレビで放送されてました。
(関西だけだったんでしょうか。)
放送寸前に知って、慌てて録画。
良かったー、録画できたー。

確か去年もこの時期、GW中に放映されてたと記憶してます。
なぜ覚えているかというと、
去年のGWは、私と娘達は吉本新喜劇を観に大阪のホテルに泊まってて、
そのホテルの部屋でテレビを付けたら、
ちょうど今からこの映画をやるんだって!
観よう!
ってなって、
夜中まで、娘達と最後まで一緒に観たからです。笑(そんな説明は必要か?)

「うわー、ここ、ここ。
 この駅でお母さんは下宿しててん。
 この大学にお母さん行っててんー。」
と、いろいろ場所が出て来る度に言ってたら、
娘達が、
「うわー、お母さんの学校、お城みたいやんか。行ってみたい!」
と言うもんで、

で、
今年の2月に、大阪へライオンキングを観に行った時に、
せっかくなので、そのついでに、
甲東園駅まで足を伸ばして、
母校である関西学院大学に行ってみました。

同じゼミ仲間で、今はこの大学近くに住んでいるお友達Yちゃんと待ち合わせして。

ちょうど受験が終わった2月半ばは、学生たちの姿もほとんどなく、
寒空の下で閑散とした様子でしたが、
校門入って、真正面に時計台が見えたときはやっぱりテンションが上がりました。
この風景はそりゃもう我が青春のシンボルなもんで。(青春て)

と同時に、懐かしいし、なんか落ち着く‥‥。

娘達も「うわーー、映画のまんまや!」と、
誰もいない中央芝生に向かって走り出す始末。

そのうちお友達Yちゃんと娘さんがやってきて合流し、
みんなであちこち歩いてまわっていると‥‥、

こんなものを見つけました。

130211_kgbajyutu3.jpg

「馬顔でもいいじゃん。」

う、うん‥。いいと思う。全然いいと思う‥。

馬術部の立て看板みたいです。なかなかステキなセンスです。



その隣には‥、

130211_kgbajyutu2.jpg

「どんな英雄達も馬に乗っていた。」

う、うん‥。そうよな。確かにそうやと思う‥。

しかしこの躍動感溢れる表現、どうですか。
私は惹きこまれて、つい立ち止まりました。



またその横には‥。

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「馬、しらねーの?」(厩舎に来ればイイんだ)

ううん、しってる。馬、しってる‥。
けど厩舎には行ってみてもいいかもしんない‥。



そして最後、

130211_kgbajyutu1.jpg

「見つけた!未来のパートナー!」

え?あたしのこと?(違うっ)
そんなつぶらな瞳で見つめちゃって‥。
白馬だけに、王子さまでも乗っけてやってきてくれるの?(だから違うっ)


‥‥ちょっと心ときめく。(いやいやいや)


ということで、(どういうことでもない)
もし私が新入生かなんかだったら、
間違いなくちょっとだけ厩舎を覗きに行ってたかもしれない。(ほんまかー)

という、すごく魅力的な立て看板を写メしてたのに、
すっかりすっかり忘れていて、
スマホの写真整理してたら出てきて、

で、
今回の映画「阪急電車」放送記念にアップしてみました。(なんの記念よ‥)

あの、おばあちゃん良いですねー。好きです。

  1. 2013/05/07(火) 13:20:40|
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2012年7月12日      今、しか言えない言葉




まったく個人的なことを長々と書いてしまいそうです。(いつもじゃないのか。すみません‥。)

私と、ある友達との思い出話です。

その友達とは、
中学を卒業してから20年近く連絡が途絶えていました。
それが数年前くらいに、
久しぶりにその子から連絡をもらいました。
それ以降、たまの電話のやりとりが続くようになっています。

彼女曰く、久しぶりに連絡を取ろうと思ったのには理由がある、とのことでした。
それは私達の共通の思い出が関係していました。

私は、その思い出話については普段は忘れています。
覚えていないのではありません。
思い出さなくても良くなっているだけ、それで済んでいるだけです。その理由もあります。
でも友達は、今もそのことを忘れられないでいるようです。
たびたび電話口でその思い出話を口にします。それにもまた理由があります。

普段、私はここに、
ばかばかしすぎることや思い上がったような事ばかり書いていますが、
割りとこれでもまだ慎重に書いているつもりでして‥。
下書きを書いて、時期をしばらく置く時もあります。載せないままの時もあります。
それはフラッとここを覗いてくださる方々を不快にさせてはいけないな、と正直思うからです。
感情のままに呟いたり書きなぐっりした文章は載せちゃいけないな、
と少しはこれでも思ったりなんかします。
決して自分の気持ちの捌け口として、ただ、
ダダ漏れ的に書いているわけではないつもりです。
(いやあ、そうは言ってもライダーの件についてはその姿勢を崩しちゃいましたかねえ、とほほ。
 お恥ずかしい限りです。不快にさせてしまっていましたら本当にすみません。
 ちょっとだけ先に弁解がましいことを言ってみております。)


この思い出話と言うのは、端的に言うと、
過去にいじめられていたことがあったよ、という思い出話です。

だいたい「向こう側」となる人たちは集団です。
どうも集団になっていくようです。
対して、こちらは一人です。
でも私の場合は、最初は自分一人のように思えていましたが、
別にいじめられていたその友達が、
ある時から私に時々つきあってくれるようになりました。中学の時の話です。

卒業と同時に、私たちは別々の高校に進学しました。
そこから連絡は途絶えました。
今思えば自分はなんて水臭かったんだろう、と思います。
でも当時の気持ちを上手に伝えることができず、ただ思い出したくない一心で、
その友達とのことも忘れようとしてたのかもしれません。


私はバレーボールが大好きでした。
仲間とチームでボールを打ち合うのが、本当に好きでした。
でもそのいじめが起こり出してから、他のメンバーが部活動に出て来なくなり、
私のバレーボールの相手は、体育館の壁か、
もしくは、そのいじめに時々つきあってくれた友達、
つまり同じバレー部のその友達だけになりました。
部活動以外の時間でも、嫌な思いはいろいろしました。
私は、自分の中学時代に「暗黒時代」と名付けていますが(名付けるな)、半分冗談でもありません。


そんな暗黒時代の中学の卒業式が終わり、
高校入学前の春休みのある日。
私の家に一本の電話がかかってきました。
「向こう側」メンバーのうちの一人でした。
渋々電話に出ました。
一体なんの用だ、と忌々しく思ったのを今でも覚えています。
でも、電話に出てしばらくして、私の気持ちが少しだけ変わりました。
その「向こう側」の相手が、謝ってくれたのです。
声が真剣でした。
口先だけのものではないな、と子供の私でもわかりました。

その「向こう側」の友達も同じバレーボール部でした。
部活動には出なかったけど、
やっぱり私もバレーボールが好きだ、とその電話で私に言いました。
本当に申し訳なかった。今までの事は謝りたい。
高校に行って、もう一度一緒にバレーがしたい。
高校で一緒にバレー部に入らへん?

友達の声は、勇気を振り絞ってやっと出て来たような、そんなか細い声でした。

私は、でも、
それから以降バレーボールをしていません。
せっかく勇気を振り絞って、謝ってくれて、
また一緒にバレーボールをしよう、って誘ってくれたのに、
私は断りました。
その友達に応えることを私は選びませんでした。
仕返しとか、そんなちっぽけなことではありません。
ただもう新しい気持ちになりたかったような、そんなような気がします。
今思えば、せっかく誘ってくれたのにな、申し訳なかったな、と思います。
私が断った事でその友達の罪悪感が更に膨れ上がっていたとしたら、
あー、ごめん!ただただ申し訳ない事をした!としか言えませんが、
それでも私は、自分の気持ちに正直でいる事を、当時から決めたのでした。

でも、そうやって「きちんと心から謝ってきてくれた。」ことは今でもずっと忘れません。
その友達に対しては、その電話の日から後はもう「向こう側」ではなくなっています。
逆にそれ以外の人は、あれから何年も経っているというのに、
今も「向こう側」である、かもしれません。
つい先日「こっち側、あっち側がないかもしれない。」とここでも偉そうに書いたくせに、
もうこんなことを言っているいい加減なヤツです。

表面上は忘れたふりをしていても、そういうことは心の底では忘れてはいないものです。
やった方は忘れているのでしょうか。
何事もなかったかのようにしている場合が多く見受けられますが、心底ではどう感じているのでしょう。
こちら側は決して忘れません。
うっしっし、そうなのだよ、私は決して忘れてはいないのだよ、諸君。(誰に言ってんだよ。)
ただ、
私が普段このことを思い出しても辛くならずに済んでいるのは、それくらいで済んでいるのは、
間違いなく、あの時謝ってくれた、あの友達の勇気のおかげだと思っています。

この思い出を共有するもう一人の友達の方は、
今もまだ当時の事をひきずったように、この思い出話をしだします。
まだ水に流せていないのです。
私は、なんとか、善かれと思って、
その「向こう側」のあの子も実はすごく反省してたんだよ、ということを伝えたくて、
その春休みにかかってきた電話の話を思い切って彼女に話してみたことがあります。
すると、
「私のところにはそんな電話がなかった。
 謝ってくれたことなんて一度もない。」
と、激しく感情を爆発させました。
よかれと思ったことが逆効果でした。
咄嗟に私は、それはきっとその子と私が同じ高校に行く事になっていたからかもしれない、
あなたは違う高校に行くから、という理由で、電話をしなかっただけかもしれない。
と、勝手に理由付けて落ち着かせようとしましたが、
その過去の縛りから、
どうしても自分を解き放つことができないでいることを苦しそうに打ち明けてくれました。
過去だけが問題なのじゃないかもしれません。それはただの言い訳かもしれません。
でも、「癖」のようなものなのか、
自分の立ち位置がどうしてもそっちに行ってしまう「癖」が、
いつまでも抜けないでいるようなのです。
大人になった今現在でも似たような現状を抱えていて、
一日の大半を、その不安や苦悩の中で過ごしているようなのです。

私は電話がかかってくる度に、思うままの話をします。
それしかできないからです。
ただ、私がなにかできる、とは思っていません。
彼女の力で乗り越えられると思っています。
もし彼女が口先だけでなく、心の奥底から抜け出したいと思っていたら、
きっといつか抜け出せるはず。
そういうことだけは何度も何度も伝えていきたいな、と思っています。
そして徐々に徐々に、
ゆっくりとだけど電話の向こうの声も明るくなってきているようにも思います。

もしも、の妄想をすると、
私が今どれだけ偉そうに言葉を重ねて彼女に言い続けても、
それよりもなによりも、
「向こう側」の誰でもよかった、一人でよかった、
ただ一言「本当にごめんなさい。」と心からの言葉がもしもあったなら、
それだけで、彼女はとっくの昔に救われてたかもしれません。

でもそんな言葉がなくても、「今、ここ」で生きている限り、
「今、ここ」の彼女が、私が、
「今、ここ」の生活を楽しむ以外、方法がないんじゃないかな、
とも思っています。思うようにしています。
周りに何かを期待しても始まりません。
今さらその人たちのところへ言って「謝ってください。」と言ったって、
悲しいけどそれで救われることは期待できません。
過去の事や先の事に不安になったり後悔だけで過ごす毎日を送っていても、
なにも積み重なってはいかない、と最近の私はようやく思えるようになりました。

悪いと思ったなら、私もその時に心から謝ろうと思います。
「今、その時」言わないと意味のない言葉はたくさんあるから、
ちゃんとその時、
謝る事、感謝する事、その都度ちゃんと伝えていきたいです。
手遅れになる前に、できることを精一杯伝えないと‥。
親だから大人だから子供には謝らない、というのも違う。
謝る事は負ける事でもなんでもなく、
むしろ相手と調和出来る一つの方法なんじゃないかなあ、
と私は、
勇気を振り絞って謝ってくれた友達から、教えてもらいました。
年齢関係なく素直が一番良いなあ、
その人自身ありのままでいれるのが一番良いなあ、と思います。
すると自然に、素直な言葉が言えるんじゃないかなあ、と思います。

思い出を共有するその友達が、
自分の力で乗り越えられるのは、もうすぐなような気もします。
それまでは、電話が来る度に、
しょうがないなあー、笑わせてやろうかあ、と思います。笑(偉そうに。)
あのとき、自分に、ちょうど良い距離でつきあってくれた恩返しのつもりです。
  1. 2012/07/12(木) 17:37:22|
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2010年10月26日  アンゴラの靴下



思い出話をします。

昔、私が大学卒業後に働き始めた服飾関係の会社、
その入社2年目のときにいた部署で、
当時の私の上司にあたる女性デザイナーさんのことを。

私はデザイン関係の学校を出たわけではなかったのですが、
なぜか2年目でそのデザイナーさんやパタンナーさんがいる部署に異動になり、
たった1年だけでしたけど、服飾が作られる現場の隅っこにいたことがあるのです。
私のデスクの目の前が、その女性チーフデザイナーさんでした。

とても上品な方でした。
布や小物を扱うときは、指をすっと伸ばして大事に扱う様が印象的でした。
いつも綺麗にショートヘアを整えて、
いつもぴっちりアイロンのかかったパンツを履いて、
それがとても良く似合ってらっしゃる方でした。

当時私はまだ23歳で、若さだけで何もかもわかったような気でいて、
他の上司ともぶつかることもあり、なんだか毎日悶々とした日々を過ごしておりました。
今思い返せば、「そりゃアンタ、あれじゃあアカンって。」って思うくらい、
なんだかカチンカチンな自分だったのです。

でもなぜかその方は、いつも穏やかに温かく私に接してくれて、
出張先で何度もご馳走してくれたり、会社でもランチやお茶に誘ってくれたり、
とにかく「会話する場」を作ってくださってる方でした。
私もその方としゃべっているときは、カチンカチンの鎧が少しほぐれて、
自然と笑みがこぼれていくのを感じていました。

ある時、その方が資料用にファッション雑誌をぺらぺらめくりながら、
街頭のお洒落自慢スナップ写真のページで手を止めて、
私に言いました。
「私ね、こうやって、
 私はこんなの持ってるの、こんなの着てるの、どうお洒落でしょう?
 っていう感じ、
 すっごく大っきらい!!」

私はその言い方が、
すごく可愛らしく感じたので、
ついぷっと吹き出して笑ってしまったのですが、
「ああ、なんとなくわかるような気がします。」と答えると、
ニコッと笑って、
「でしょー?
 いちいち主張しなくってもいいと、私は思うの。」

それだけ言うと、
またすぐに手元に目線を落として、
他のページの気になったところを次々ハサミで切り抜きながら、
次期のコンセプトボードにそれらを貼付けてらっしゃいました。

今でも、たまにその時の会話や、表情を思い出して、
にんまりしてしまいます。
一見、充分大人の女性に見えたあの方の、
ふっと見せる無邪気さや、子供みたいな口調。
そして、寒くなってきた頃に、
「見て見てー。
 今日はねえ、アンゴラの靴下履いてきたのー。」と、
私のそばにやってきて、
机の下でこっそり、かつ無邪気にパンツの裾をこっそりめくって、
温かそうなベージュのアンゴラのふわふわな靴下を見せてくれた時や、

それらを思い出す度に、
今ではまったく連絡の取り用もないのだけど、
どうされてるのかなあ、
元気かなあ、
また会って話してみたいなあ、と懐かしく思うのです。
今、私は当時のあの方と同じ年齢になってしまいました。

冷えとり用の靴下で、
冬用にウールのものをそろそろ買おう。
靴下一枚でも大事に使える女性になれるかな。なりたいな。
あの方が、あの時のベージュのアンゴラの靴下を大事に履いていたように。


  1. 2010/10/26(火) 09:14:00|
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