佳矢乃のキノミキノママ日記

放置しすぎました・・

2017年10月26日



こんなにここを放置したのは初めてかもしれません。

誰が読みに来てくださっているかもわからないもの、

でも時々は、
「読んでいます。」とおっしゃって下さる、ここ、

嬉しく受け止めつつ、

でも、

しばらくずっと、なんか書けなくて、

気がついたらもう10月も終わりに近づいてきています。



自分の中の物事をすっきり整理したくて、

違和感の感じ始めたものはすっぱり止めてみたり、

本心では続けたいけど、
状況が許してくれないものは一旦保留にしてみたり、

いつの間にか、

強引に「いけるでしょ」と推し進めがちだった自分の心の癖を、
見直すようにもなりました。


今までなら、
多少、遠くても、行きたいと思ったら出かけるし、
多少、お金がかかっても、これはと思ったらためらいなく出して、
行動していました。


それが、
例えば他の誰かが関わることだとしたら、

「あの人は、割と簡単にどこでも来てくれる。」と思われたフシもあったみたいで、

実際には、
交通費も相当かかるし、宿泊費もかかるし、
どこに移動するにも、
必ずまる1日2日はかかるから、
仕事だってその分、キツくなるわけです。

でもそんなこと、
顔に出しちゃダメだって無意識に頑張りすぎて、

相手に、
「簡単に出て来てもらえる。」と思われたんだと思います。

決して、フラッと行けたわけじゃないのに。



何より、
自分自身で、
「いけるでしょ。」
と、自分にちょっと無理を強いてきたこと、

そこも自覚しました。


もう、
そんな簡単にフラッと行けなくなりそうです。

そういう時期なんだと思います。


来月は東京でグループ展、個展と続きます。
また来年2月は大阪での個展も決まりました。

でも在廊できる日数は、かなり限られると思います。

本当なら少しでも多くの方とお会いしたいところですが、
やむを得ません。


でも、お知らせさせていただきますね。
やっぱり作品は見ていただきたいですから。


  1. 2017/10/26(木) 13:31:09|
  2. 思うこと
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創造するってことを

2017年9月7日



考えさせられたことがあります。



ある表現をしようとする人がいて、

その表現を指導する立場の人がいて、


指導する立場の方の、これまでの経験や方法論で、
それなりの評価を得ることができて、
見た目にもわかりやすい付加価値を得てきたからこそ、

その方にとっては、
その経験や方法論が「うまくやるための全て」になっていたとしたら。

指導する時に、
おそらくその「うまくやるための全て」を弟子に教えたいとなるのは、
至極当然のことだと思うのです。


教わる側も、
その方法で結果を出したいと願うでしょうし、目指すでしょうし、
いろんなことを学んで、
自分の血や肉や骨としていくんだと・・

それは思うのですが・・・、

表現する側の、
「それを表現したい!」という熱や心を、
無視することはないと思うんです。


結果にこだわる余り、

その熱や心を無視してまで、
指導者が成功してきた、その方法論でないとダメだ。

・・なんてことは決して無い。

・・とわたしは思うんです。


それを表現したい!という熱が、
なにより最優先であって欲しいし、最優先であっていい。

結果は後からついてくるもので、
その時、その表現に対しての結果が伴わなくても、

熱や心に従って表現し続けていく積み重ねの中に、
誰かの心を打つものが生まれるかもしれない。

そういう可能性を信じた方が、

表現する側の「表現する喜び」も失われることはない。

・・とわたしは思うのです。



いろんな指導者の方も見てきました。
いろんなタイプの方がいました。
申し訳ないですけど、
中には、
その方の方法論に押し込められそうになって、
わたし自身の表現が失われそうになる危機感を覚えて、
距離を置いた方もいました。

(学んだことも大きかったですよ。それは感謝しています。)


わたしは、今、
銅版画の先生方から、
とても素晴らしい「表現したいという欲を大事にする心」を学んでいます。

決して、
自分の方法論を押し付けたり、
結果を求めたりしません。

最初に沸き起こった
「表現したい!」という熱をなにより大事にして下さる。


まだ立場的に、
「教え子」「指導を仰ぐ側」にしかなれない人がいたとしたら、

先生や指導者の方からどんな言葉をかけられても、

自分の表現したい欲、熱、心を決して無くさないで欲しいな。
と思います。

それを一番大事にして欲しいな、と思います。

周りは好き勝手言いますからね(笑)

気にしないで、
堂々と、
好きなものを好きな表現で、やっていったらいいと思います。

自分をなくしてしまう前に。




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  1. 2017/09/07(木) 08:18:58|
  2. 思うこと
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できないって思い込んでいること

2017年8月25日


「ひと山、超えたぞーーー!」


大げさに叫んでいますが、
8月中の、
怒涛の仕事漬けの日々。
ようやく一旦一区切りできそうです。

(まだ来週納品分も残っているけど・・ふっ。)


お仕事関連の皆様、
本当にいつもありがとうございます。

9月は時々休みも取りたいので、
スケジュールは相談させていただくことになるかもしれませんが、
何卒よろしくお願い致します。


さて、

このビックウエーブがくる前の(山なのか波なのかどっちなんだ)
7月後半、
娘たちが夏休みに入ってすぐに、
大阪と奈良に一泊だけのプチ旅行をしてきました。

7月に行っておいて良かった〜!
8月に入ったら絶対に行けなかったもんね・・汗。


この旅行中に、

わたくし、

ちょっとした「思い込み」を払拭することができたんで、
その話を聞いていただいていいでしょうか。

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ジョジョという漫画が大好きな娘二人は、
今、そのイベントをしている
ユニバーサルストゥーディオジャッパーンがお目当てだったのです。


わたしは、初めてでした。
ユニバーサルストゥーディオジャッパーン。

(USJと普通に言いなさいよ・・)

ユニバーサルストゥーディオジャッパーンと言えば、
何を思い浮かびますか?

多種多様のアトラクションではないでしょうか。

アトラクションと言えば、
そう、
絶叫マシンは外せませんね。


わたくし・・この絶叫マシンが大の苦手なんであります。

かつて中学校の修学旅行で、
ネズミの国の絶叫マシンに乗って悶絶してから、
ほぼ一切ダメになってしまって、
急降下・急落下する系のものは、
できるだけ避けてきたんです。

バイキングっていう左右にただ揺れるだけのものすらダメでしたから。


娘二人のうち、
長女もわたしと同じように、
絶叫マシンは絶対乗らないと公言していますが、

小学生の次女が、
なんと、
反対に絶叫マシンが大好き・・・と来たもんで、


はい、この場合どうしますか?(笑)

3人ですよ。

わたし、長女、次女、のうち、
小学生の次女だけ、
「絶叫マシンに乗りたい乗りたい乗りたい。」と言うのです。(笑)


いくら絶叫マシンが苦手だからと言っても、
せっかく、
ユニバーサルストゥーディオジャッパーン(もうただ言いたいだけ)に
来ているんだから、
次女に「それはやめときなさい。」って、
我慢させるのは辛いし言えないです。

かといって、
次女だけ乗せるというのも、それは母として良心が痛む・・。

ましてや、
他のどこかのご家族さんたちに、
「あの〜、この子も一緒に混ぜてもらっていいですか?」
なんて頼めるはずもない。(笑)


長女はもう高校生なので、
「わたし、ひとりでその辺ぶらぶら買い物してるし、
 二人で行っておいでよ。」

と言ってくれている。

いうことは・・・・。
どうなりますか。

ふははははははは(無表情)

乗るしかない?・・・のか?
この、わたくしが・・・。

ですよ。


ところが。


絶叫マシンと言っても、

ユニバーサルストゥーディオジャッパーン(もういいって)の、

「ザ・フライング・ダイナソー」

は、

なぜだか話題になっていた頃から、
妙に妙に気になっていましてね。

テレビで見た時、
「これは乗れるぞ・・。乗りたいなあ。」
という、
根拠のない自信のようなものが自分の中に生まれていたんです。
実を言うと。

なぜそんな自信があるのか、自分でもワケがわかりません。

ただただ、
「そう思う。」

それだけです。


でもその都度、
思考レベルのわたし、
つまり過去の経験値でしか考えられない脳の部分では、

「やめときなさいって。
 嫌いなんでしょ。」

と制するわけです。

「どうせ、無理なんだって。」って。


でも、でも、
魂レベルのわたしは、
経験値を超えたところの魂の純粋な部分は、

「乗ってみたい・・・♡」

「だって、あれは空飛んでるみたいやん。
 空飛べるって素敵やん♡♡♡」

と感じている・・・。



そう、
わけのわからない魂のワクワク感が否めなかったんです。

他の絶叫マシンにはそんなの感じたことないのに。


で、ものすごい行列でしたが意を決して、
次女と二人で並んでみました。

ところがこれも、
魂のワクワク感に従った故のプチミラクルなんでしょうかね。

待ち時間90分表記で、
「こんなに待つのか〜・・」って覚悟して並んだのに、
あれあれ?
思ったよりもスルスル列が進むよ・・、
あれ?
もう乗るの?って時計をみたら、
たった30分しか経ってないんです。

そんなものなんですか?
と、まずそこに少々驚きながら、
いよいよ、自分たちの番・・・。

し・か・も・・・

最前列ブロック、前から二番目の最高の位置(え?)


絶叫マシン好きの次女は、
もうワクワクして目が輝いています。

と思っていたら、
次女も、
「お母さん、苦手なくせに、
 なんでそんな目がキラキラしてんの。」

とわたしを見て言うので、
きっと、わたしも目がキラキラしてたんでしょう・・(笑)

ガシーンと安全装置が下ろされ、
体が一旦、固定されます。

普段なら、こんなの耐えられません。

「降ろしてくれーーーーーー!!」
と、違う意味で絶叫しているでしょう。

ところが、
フライングダイナソー独自のあの姿勢、
開始寸前の、
うつぶせのように背中が天を向く姿勢、
つまり、下向きになって足は宙ぶらりんになる姿勢・・
になって、

前後左右の他のお客さんが、
「やばいやばい!!もうだめ!!」
「あかんあかん!!」

とそれだけで、既に叫びだしているのに、

わたしは不思議と、
心の中で、

・・というか、魂が?・・かなあ?

「おお、飛べるぞー。
 空を飛べるぞー。飛ぶぞーーーー♡♡♡」

とワクワクしっ放しだったんです。

宙ぶらりんのまま(笑)


で、ほら、来るぞ、来るぞ・・・

きたーーーーーーーーーー!(語彙力無し)


ビューーーーン

ビュビュビューーーーーン

グルグルグルグル

ビュビュビューーーーーーーーン・・・


ヒューーーー・・・(終わった音、笑)



いやあ・・・・。

爽 快!!

なんて気持ちがいいんでしょうか!!



普段なら絶対に嫌で乗りたくない急降下場面だって、
ぐるぐる空を舞いながら降りるので、
全然怖くないのです。

もう自分の中では、
完全に、
「めちゃくちゃ飛ぶのが上手な鳥」(なんだそれ)
になった気分なので、

ほんとに自由自在に、
空を飛んでいる気分だったのです。


終わって、降りる時、

「お母さん、
 ずっと大爆笑してたから、
 ちょっとうるさかったわ。」

と笑いながら次女にぼやかれました(笑)

ははは、ごめんごめん。
あまりに楽しかったから・・。

「いや、わたしも楽しかったからええけどー。」ですって。


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たぶん、わたしの中で、
普通の絶叫マシンは、
「体を縛り付けられて、ただ一方的に落とされる。」(←言い方、笑)
イメージが強かったんだと思います。

魂になにかしら、
「そんな恐怖感」が植えつけられる原因となる経験が、
あるのかもしれません。

でも、
そんなことは別にそのままで良くて、
無理に克服しようとしなくてもよくて、

フライングダイナソーは乗れても、

今もって、
他の絶叫マシンは乗ろうとは思わない。きっぱり。

マシンごとまるごと、
克服しなくちゃ、乗らなくちゃ!とも決して思いませんし、

そんなこと思う必要もないんですが、

ただ、
不思議と、
「これだけは乗ってみたい。」
という、
魂の感覚に従ってみたら、

やっぱり最高だった!

という経験をまた一つ手に入れることができました。



過去の経験から来る理由付けなんかより、

「今」感じている、

魂の感覚の方をためらいなくやってみて良し。

ってことなんでしょうねえ。


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  1. 2017/08/25(金) 12:31:21|
  2. 思うこと
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思考停止でジャッジがなくなる

2017年7月15日


今朝からボーッとして、
ほぼ思考停止しております。

熱中症じゃありませんです、はい。

仕事はスルスルできるんです。


ボーッとしているのは、
昨日、とある場所に思いつきで行ってみて、

そこの場所の、
「ジャッジの一切入らないフラットなエネルギー」を、
受けたからだと思っています。

あ、これ、悪いことじゃないのです〜。


思考停止することは、
ジャッジを止める感覚にもつながっていくんです。



今、わたしがボーッとすることで、
それを自然と味わっているのは、

この時期に、
ジャッジのない生き方を、
心も体もしっかり味わうためなんだろうな、
と思っています。


「自分は、ただ、ここに、いる。」

それだけを体感していれば、

実際そのことが、
むしろ自分にとって最適な現実をもたらしてくれることを、
経験値として掴んでいく、

そんな予感がしています。

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「自分だと思ってきた」自分も、
もしかしたら、
「本当の自分」じゃない部分が、
まだ多いかもしれない。(ややこしいですかね、笑)

どこか、
「他人の常識」「他人の感覚」を吸収していて、
それを自分だと錯覚していただけの部分。

自分の感覚フィルターを通して吸収しているものなら、
自分の一部になり得るけど、


自分の感覚フィルターを通さず、
「他人のもの」を、そのまま疑わず吸収しているものがあったら、

他人のもの=他人の価値観とか、世間体とか、一般常識とか、

その部分は、
本当の自分ではないわけですから。


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なんとなーく、
ボーッとすることは、

「他人アンテナじゃなく、
 魂のままの自分アンテナに戻っている」状態。


「魂そのもの、の、自分アンテナでキャッチできる状態。」

それだろうな、と感じています。


・・・と思っていたら、

お昼過ぎに、すごい繋がりがあったんです。
軽く鳥肌が立ちました。

こちらからコンタクトを取ったものでなく、
向こうから、あちらからやってくるもの。


自分そのものでいることだけを意識していたら、
最適なものは、向こうからやってくるんだってこと。

すぐさま宇宙は示してくれる・・。

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  1. 2017/07/15(土) 21:56:01|
  2. 思うこと
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ドラマを見ていて・・

2017年7月9日


6月末に、
大好きだったドラマが終わり、

(すみません、本音をいうと、
 J系タレントさんって一部を除き苦手だったんですが、←偏見を持っていました・・。
 このドラマに出ている彼らに対しては好意的に変わりました。←単純なわたし。笑
 いろんな偏見を乗り越えて、彼らも頑張っているんだなあ・・って。
 自分が偏見を持っていただけに・・。たはは。)



7月に入り、同じ枠で新しいドラマが始まり・・

娘たちと昨夜見ていて、
「う、うーーーん・・・、見るのがつらい・・。」
と皆んなで唸ってしまいました・・。



好きなタレントさんが出ているから見たけど、

「このモヤっと感。
 つらさ感はなんなんだろう。」

「ただ、
 かわいそうでしかない、
 このつらさって一体・・。」と・・・。


前の枠のドラマは、
登場人物それぞれの持ち味も、台詞回しも、関係性も、
なんかすべてが、
心地いい輪の中にあって、
心地よく回っていって、

とにかく「見ていて、心地いいドラマ」でした。


ところが、今回は、

「どうしてそんなに、
 嫌悪感を抱かせる役の人が、
 こんなに多いんだろう・・。」

と感じてしまったんです。

比べなくてもいいんですけどねえ〜。


地球の生活は、実際、
ここまであからさまに大人気なく、
嫌な態度を取る人・・・、
攻撃的な人・・、
人を蔑む人・・、
いるかなあ・・。


あ。いるか・・・・(遠い目)

いますね・・・(苦笑)


たまーに、いますけど・・・、

いつもそういう方々に接するたびに感じるのは、

「攻撃的になったり、
 上から目線になったり、
 あからさまに人に嫌な態度を出す人は、
 実は、
 心の中に、
 相当な怒りや悲しさを溜め込んでいて、
 吐き出す先を間違えているだけ。」

と思ってしまう・・。


でも、そこに同情するんじゃなくて、

できるだけわたし自身、自分の心も保ちたいから、

実際やりとりはしないといけない人でも、
心の距離は置くようにしていて・・、

その方々が、その方々なりの宇宙の宿題をしているだけ。

と思うようにしています・・。



自分たちの生活だって、
いわゆる
「自分たちで演じて、演出している」ものなんですよね。
そういう意味では、ドラマであって。

自分の感じたことを元に、
フィルムが回っている。

その映し出された現実を、また自分たちが見ている・・。

見て感じたことを元に、
また自分の行動を決めて、行動して、
毎秒ごとのフィルムを創り出している。

毎秒ごとのフィルムだから、

1秒先、2,3秒先の行動も、
実は自分の選択次第で、いかようにもできる・・。

そうなると、

どういう脚本にして、
どういう演出をして、
どう演じるか。

は、自分の心ひとつ、なんだなあと思います。

誰かの描いた脚本、
誰かの演出で監督されて、
「演じさせられたもの」ではなくて、

自分が「演じたもの。」

そして周囲でも、
たまに、いやーな役が登場しても、
自分のフィルムの中で、
どう変換させるか。

そこが腕の見せ所・・・(笑)


なーんて偉そうなこと言ってますけど、

もう、
「見ていて不快なもの」には、
敢えて触れなくてもいいのかもしれませんね。
素敵なドラマにしていきたいですもの。


でも7月始まりの、このドラマ。
しばらく見続けてみよう。
毎回、見ていて辛かったら見るの辞めるかもしれないけど、
まだ初回ですもんね、この先わかりません。

それに、
「嫌な役」を演じている人のことも、
偏見で見ないように気をつけないと。うん。(笑)

全ては「偏見から勘違いが起こり」、
勝手な解釈で、
自分の人生に直接関係ないことまで、
自分の感情に取り入れてしまいがちになるから、

それは、ちょっともうしんどいのがわかっているから、
できるだけフラットに、

「ただ、その人は、そうなだけ。」で終われるようにしたいです。


実生活でも。


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  1. 2017/07/09(日) 12:56:49|
  2. 思うこと
  3. | コメント:0
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